「開放か、囲い込みか」という問い自体が間違っている
中国はAIモデルをオープンにするのか、それとも国家管理へ向かうのか。この問いに「どちらか」で答えようとすると、たぶん外れる。
Qiitaに掲載されたsukimaengineer氏の記事は、この問いそのものを解体する。主張はシンプルで、中国は「能力の種類によって参加しているゲームが異なる」という構造を持っている、というものだ。汎用モデルの層では開放が合理的で、攻撃能力の層では秘匿が合理的。そしてMythos級のような最先端モデルは両方の性質を持つがゆえに、別の均衡へ向かう可能性がある。
起点になっているのは2026年4月のAnthropicの動きだ。Anthropicは「Claude Mythos Preview」を発表したが、一般公開を見送り、限定パートナー(Project Glasswing)にのみ提供した。その背景にある技術的な見立ては、コーディング能力を突き詰めた結果として、サイバー攻撃能力(脆弱性発見・exploit生成)が「創発的に」出てきたというものだ。意図して訓練したわけではなく、副産物として生まれた。英国AI Security Instituteも一部を独立に確認し、未知の重大脆弱性を自律的に発見・exploit化した事例が報告されている。
AI研究者の今井翔太氏は「スケーリングとコーディング能力のレースを続ければ、どのラボも自然にMythos級に到達する。米国勢は安全性ゆえに公開を絞るが、中国は比較的容易に公開できるため、半年〜1年でMythos級を無制約にオープンにするのではないか」という見立てを示した。sukimaengineer氏はこれに対し、「逆方向の可能性もある」と問いを立て、ゲーム理論で分解してみせた。
汎用モデルの層:「焦土戦略」としての開放
汎用・商用モデルの層では、今井氏の見立てはかなり妥当だと思う。DeepSeek R1が示した戦略は記憶に新しい。米国のクローズドAPIが高マージンを取りにいく横で、同等品を無料・オープンウェイトで配布する。これは単なる技術共有ではなく、相手の収益モデルに揺さぶりをかけるコミットメント・ゲームだ。「常に最先端の数ヶ月遅れを無料で出し続ける」と信頼できる形でコミットすれば、相手の価格設定力が崩れる。やめる動機がなく、相手が苦しむほど続ける誘因が働く。
政策的な裏付けも揃っている。2025年7月に国務院が承認した「AI+」イニシアティブはオープンソース・エコシステム構築を明示し、李強首相はWAIC 2025でオープンソース共有の拡大に言及した。第15次五カ年計画も「中国オープンソースの世界展開の加速」を掲げている。実際、DeepSeek V4(2026年公開)はオープンソースを維持しており、「汎用層は開放継続」という観察事実とも合う。
ここまでは「中国はオープンにする」という読みで正しい。ただ、それは汎用モデルという層の話だ。
攻撃能力の層:「私的財化」としての秘匿
攻撃能力の層では、同じ国がほぼ正反対のインセンティブに直面する。
脆弱性には決定的な性質がある。公開した瞬間にパッチが当たり、攻撃資産としての価値が死ぬ。防御には貢献するが、攻撃には使えなくなる。国家プレイヤーとして攻撃能力を重視するなら、脆弱性は秘匿のほうが合理的だ。
これに近い制度を中国はすでに実装している。2021年施行の「ネットワーク製品安全脆弱性管理規定(RMSV)」は、脆弱性を48時間以内に当局へ報告させ、パッチ前の公開・PoC公開・国外開示を制限している。脆弱性発見コンテスト「天府杯(Tianfu Cup)」も、近年は公安部主管となり秘匿性が増したと報じられている。「公共財になりかけた脆弱性を、私的財(国家の管理下)へ引き戻す」方向の運用だ。
ここが記事の核心的な見立てで、自分もそう読む。同じ国が、汎用モデルは公共財として開放し、攻撃成果物は私的財として囲い込む。矛盾ではなく、別々のゲームを別々に最適化している結果だ。
Mythos級モデル:両義的だからこそ「分離均衡」へ向かう
難しくなるのがMythos級モデルだ。汎用コーディング能力の副産物として自律的なサイバー攻撃能力を持つとすれば、これはゲーム1(汎用モデル)の財でありながら、ゲーム2(攻撃資産)の財でもある両義的な存在になる。
sukimaengineer氏の予想は「分離均衡」だ。能力が閾値以下ならオープンで出す。閾値を超えたら——自律的サイバー攻撃が可能なレベルになったら——API限定・ウェイト非公開、国家管理へ移行する。最強モデルを開放することは「自分の最良の手札を相手に無料配布する」ことに等しく、ゲーム2の論理を重視するなら選ばれにくい手になる。
人材の囲い込みは、この終盤均衡から逆算された先行手として読める。2025年3月頃から、DeepSeekが一部のコアR&D職にパスポート提出を求め、海外渡航を実質的に制限していると報じられた。名目が「商業機密」から「国家機密」へと変わったとされている点が興味深い。言葉の変化が、当局の内部的な位置づけの変化を示唆しているとも読める。「これはゲーム1(商業競争)ではなく、ゲーム2/3(国家安全)に属する問題だ」という再定義だ。
呼び戻しの動きもある。「Qiming(启明)計画」がMIIT主管で運用され、住宅補助に加え300〜500万元規模のサインボーナスで海外トップ人材を狙っていると報じられている。2025年10月には若手STEM向けの「K字ビザ」も新設された。モデルやexploitは複製できるが、それを作る人間は複製できない。最も希少で代替が利きにくい資源を先に固定しにいく、という読みは筋が通っている。
何を見ておけば予測が検証できるか
ゲーム理論的な分析の強みは、検証可能なシグナルを事前に置けることだ。sukimaengineer氏が挙げた最重要指標はこれだ。
DeepSeekかQwenが、次のフラッグシップを突然クローズド(API限定・ウェイト非公開)に切り替える。
これが起きれば、ゲーム1からゲーム2/3への内部的な位置づけ直しを示す比較的強い兆候だ。他にも、CACがフロンティアモデルの公開を初めて差し止める事例、輸出管理法のキャッチオール条項がAIモデルウェイトに初適用される事例、Qiming計画の実績規模の拡大なども観測指標として挙げられている。
ただし、このモデルにはいくつかの前提が効いている。留保として押さえておきたいのは「評判ゲーム」の問題だ。これは繰り返しゲームなので、「常に開放する国」という評判を築くこと自体に戦略価値がある。閾値を越えた瞬間だけ非公開に切り替える「トリガー戦略」を採る可能性もある。つまり、ギリギリまで開放を続けていても、それが「国家管理シナリオが否定された」ことを意味するわけではない。
また、中国を単一の合理的アクターとして扱うことへの留保も重要だ。CAC・MIIT・公安部・民間ラボ・地方政府の利害は必ずしも一致しない。商業的成功を求めるラボと、安全保障を優先する当局が綱引きをしている構図があり、現時点でDeepSeek V4がオープンを維持している事実は「汎用層ではまだラボ側の論理が優勢」という読みも成立する。
実務的な示唆:備えるべきは二つの世界
ここからは少し実務的な見方を加える。
この分析が示す最も重要な含意は、「どちらに転ぶかわからない」ではなく「二つのシナリオが同時に成立しうる」という構造だ。汎用層では今井氏シナリオ(Mythos級相当が無制約に出回る世界)が現実になりうる。最先端層では逆に、最も強力なモデルが国家の管理下に置かれる世界が来るかもしれない。
セキュリティの観点では、この二面性は非常に厄介だ。オープンになった中位の攻撃補助能力を持つモデルが広まる一方で、本当に危険なレベルの能力は特定の国家プレイヤーにのみ蓄積される——という非対称な世界を想定する必要がある。「Mythos級が誰でも使える世界」への備えと、「最強モデルが地政学的な非対称性を生む世界」への備えは、実は別々の対策が必要だ。前者にはパッチ適用の高速化やデフォルト堅牢化、後者にはサプライチェーン依存の見直しという方向性が記事でも示されている。
AIを使ったプロダクト開発の立場から見ると、もう一つ気になる論点がある。Stanford HAIの「2026 AI Index Report」(2026年4月)では米国への AI研究者流入の減少も指摘されているという。人材の流れが変わり始めているなら、数年後の技術的競争力の分布も変わりうる。「どのモデルが最強か」という問いと同時に、「どこでその能力が生まれ、誰がコントロールするか」という問いを持つことが、今後のAI動向を読む上での基本的な軸になってくると思う。
「中国はオープンにする」でも「中国は囲い込む」でもなく、「能力の種類によってゲームが変わる」という見方を持っておくこと。次に中国のAIニュースを見るとき、まず「これは汎用モデルの話か、攻撃能力の話か、それとも人材の話か」と問うだけで、見え方がかなり変わるはずだ。
参考元: ゲーム理論で読む中国のAI戦略 ―「最先端モデルは兵器として国家管理される」のか(Qiita / sukimaengineer)