スタートアップ解剖:ハーサ・メタルズはなぜ「ゼロカーボン待ち」を拒んだのか
何をしている会社か
製鉄業の脱炭素化を語るとき、業界の答えはほぼ一択に収束していた。「水素で鉄鉱石から酸素を取り除く」だ。それが"正解"とされてきた。
ハーサ・メタルズ(Hertha Metals)は、その前提を崩しにきている。
創業者兼CEOのローリーン・メルーエが開発したのは、天然ガスを使って石炭を置き換え、従来の複数工程を一工程に統合する新型炉だ。効果は具体的な数字として出ている。CO₂排出量を少なくとも半分に削減し、従来の製鉄コストを25%下げられるという。
会社の設立は2022年。現在はテキサス州ヒューストン北部のコンロー市にパイロットプラントを持ち、日産1トンの鉄鋼を生産している。2026年7月時点での調達資金は約2000万ドル。これだけ聞くと小さな会社に見えるが、この「小ささ」にこそ本質がある。
なぜ今それが重要か
製鉄業は地味だが、数字は重い。現在の製鉄プロセスは世界のCO₂排出量の約7%を生み出している。ファッション業界とほぼ同等の規模だ。そして1850年代に商業化されたベッセマー法以来、基本的なプロセスはほとんど変わっていない。
なぜ変わらないかというと、構造的な理由がある。利益率が低く、炉の耐用年数が長い。新技術に投資するインセンティブが働きにくい業界だ。高炉は数十年単位で使い続けられるもので、そう簡単に入れ替えられない。
グリーンスチールの文脈では「水素を使えばいい」という議論が主流だ。だが水素はまだ高い。コスト競争力のある「グリーン水素」が実現するまで、製鉄業界は従来のまま動き続けるか、コストを飲んで先行投資するかの二択を迫られてきた。
ハーサのアプローチは、この二択を拒んでいる。
なぜ伸びているのか
コスラ・ベンチャーズのパートナー、ラジェシュ・スワミナサンは「日産1トンは鉄鋼にとって大きな指標だ」と言う。同時に、こう指摘している。「競合他社は5000万ドルや1億ドルの資金を調達しながら、はるかに少ない量の鉄鋼しか生産していない」と。
2000万ドルで日産1トン。5000万〜1億ドル調達してそれ以下の生産量。この対比は、技術の有効性を示すだけでなく、ハーサのキャピタル効率の高さを示している。製鉄のような重厚長大な業界では、資本の使い方は技術そのものと同じくらい重要だ。
技術の肝は二つある。一つは「一工程化」だ。従来の製鉄は鉄鉱石を溶融し、ガスと反応させ、さらに精錬するという複数の工程を経る。ハーサはこれを一工程にまとめ、鉄鉱石を液体鋼に直接変換する。もう一つは「石炭から天然ガスへの切り替え」だ。天然ガスは石炭よりも炭素集約度が低い。この二つの変更を組み合わせることで、CO₂半減とコスト25%削減を同時に実現している。
カリフォルニア大学アーバイン校・国立燃料電池研究センター所長のイリナ・ゼニュク教授はこう評している。「鉄鋼の生産システムは巨大で非効率であり、大量のエネルギー投入を必要とする。エネルギー効率を改善するだけでも、すでに大きな一歩だ」。
加えて、この設計には将来への柔軟性がある。水素価格が下がれば、現在のプラントはハードウェアを大幅に変更することなく完全脱炭素システムに切り替えられるとメルーエは言う。今は天然ガスで動かし、水素が手頃になったらスイッチを入れ替える。これは単なる過渡期の妥協ではなく、意図的な設計だ。
収益モデルと成長ロードマップ
現在のパイロットプラントは概念実証の段階だが、ロードマップは明確だ。
既存プラントの隣に新施設を建設中で、年産1万トンの高純度鉄鋼を生産し、2027年末までに全稼働を目指す。さらに2030年までに第3拠点を加え、年産50万トンを目標としている。
50万トンという数字は、米国の年間鉄鋼生産量(約8000万トン)の0.6%ほどにすぎない。メルーエ自身もそれを承知の上で、段階的な拡張を描いている。ゼニュク教授の言葉を借りれば、「1トンを生産するだけでも十分な成果」だ。スケールより先に技術の再現性と経済性を証明する。それが今のフェーズだ。
「現実解」という戦略をどう読むか
ここからは解釈の話になる。
メルーエのアプローチで最も興味深いのは、技術そのものよりも「選択の論理」だ。彼女は「完全ゼロカーボンが実現するまで待つ」ことを拒んだ。その代わりに「今できる改善を最大化し、将来の転換を設計に織り込む」道を選んだ。
この考え方は、脱炭素業界に広がっている二項対立に対する一つの回答だ。「妥協のないゼロカーボン」か「現実的な段階的改善」か、という議論がある。ハーサは後者だが、ただの妥協ではない。「将来の技術転換をコストゼロで行える設計」を最初から持っているという点で、単純な折衷案とは違う。
期待値の調整をしておく必要がある。ハーサの技術は「CO₂排出を半減する」ものであり、ゼロカーボンではない。天然ガスを使う以上、排出はゼロにならない。投資家や政策立案者がこの技術をどう位置づけるかは、今後のカーボンプライシング制度や規制の設計次第でかなり変わる。
もう一つ見ておくべき論点は、「水素価格が本当に下がるのか」という前提だ。ハーサの長期計画は、グリーン水素のコスト低下を前提としている。この前提が外れた場合、天然ガスを使い続けるプラントは「移行期の技術」ではなく「永続的な中途半端な技術」になりかねない。現時点でその判断はできないが、このリスクは認識しておく必要がある。
判断軸として一つ渡しておくとすれば、こういう技術を評価するとき、「今の性能」だけでなく「将来の転換コスト」を見ることだ。ハーサが面白いのは、水素への転換時にハードウェアを大幅変更しなくていいと言っている点にある。次に似たようなスタートアップを見るとき、そのロードマップが「技術的な補強が必要な乗り換え」か「スイッチを切り替えるだけの転換」かを確認する習慣を持つと、評価の精度が上がる。
実務的な示唆・今後の論点
製鉄業に直接関わらない人でも、この話は「脱炭素投資の実務」として読める。
調達担当者や製造業のサプライチェーン担当者にとっては、グリーンスチール調達のオプションが「水素系だけではない」ことを知っておく価値がある。ハーサの技術が量産化されれば、コスト25%削減という数字はバイヤーにとっても意味を持つ。環境負荷を下げながらコストも下げられる調達先が現れた場合、それを評価する基準が必要になる。
スタートアップ投資や事業開発の観点では、「重厚長大産業×資本効率」という組み合わせに注目したい。2000万ドルで競合他社(5000万〜1億ドル調達)を超える生産量というのは、技術だけでなくオペレーションの設計が優れていることを示唆している。こういう領域では、資金量より工程設計の緻密さが成否を分けることがある。
今後の論点として大きいのは、カーボンプライシングとの相性だ。もし炭素税が強化されれば、「排出半減」の経済的価値が直接コストに反映され、ハーサの競争優位はさらに高まる。逆に規制が緩いままなら、「半減では不十分」という批判にさらされ続ける可能性もある。この技術の価値は、物理的な性能だけでなく、規制環境によって大きく左右される。
製鉄業界は「イノベーションとは縁がない」と言われてきた。1850年代から変わっていないプロセスを、2022年創業のスタートアップが2000万ドルで動かし始めている。ゼロカーボンを待たずに、今できることに全力を注ぐ。そのアプローチが正解かどうかはまだわからないが、「問いの立て方」は確かに変わっている。