10年かけてデータを揃えた工場が、今AIを動かしている——パナソニック インダストリー山口拠点の話

何の話か——地道な下準備が、今のAI活用を支えている

製造現場でのAI活用が「難しい」と言われ続けている理由は、実は技術ではなく、データとオペレーションの問題に帰着することが多い。パナソニック インダストリーの山口拠点(山口県山口市)の事例は、その問いに対する10年がかりの答えだ。

この工場がやったことは、シンプルに言えば「全ての設備からデータを取れる状態にし、暗黙知を構造化する」こと。地味に聞こえるが、それを実際にやり遂げた工場がどれだけあるかを考えると、その重さが分かる。

なぜ今これが重要か——順序を間違えたAI導入の末路

昨今の製造業のAI議論は、「何を導入するか」から始まることが多い。AIカメラで外観検査を自動化、生成AIで手順書を作成、エージェントで段取りを最適化——目的と手段の話は豊富にある。

だが、現場に行くと別の壁にぶつかる。「そもそもデータがない」「設備が古くてセンサーを付けられない」「ベテランの判断がブラックボックスになっている」というやつだ。この三重苦は、製造現場に特有の構造的な問題で、クラウドサービスの契約やツールの選定をどれだけ頑張っても解決しない。

パナソニック インダストリー山口拠点の事例が注目に値するのは、その三重苦を正面から10年かけて潰してきた点にある。AIを導入した話ではなく、AIが動く条件を整えた話だ。

事実の整理——600設備の見える化まで、何をどうやったか

山口拠点は1969年創業のアルミ電解コンデンサー工場だ。扱う製品は自動車(EV)やAI向け情報通信インフラ向けの導電性高分子ハイブリッドアルミ電解コンデンサーで、需要は伸長中。顧客ごとに仕様が異なるため、品番点数は1万〜2万に上り、工程間の搬送・保守ルートは5000〜6000に及ぶ。

各工程自体は自動化されているが、工程間の搬送、部材の投入、保守のタイミング判断は作業員が担う。パナソニック インダストリー デバイスソリューション事業部 オペレーション変革センター センター長の高橋成太氏は、「作業員のオペレーション判断で生産性が左右される状況だったが、その判断は属人化され暗黙知となっていた」と語っている。

問題は、その暗黙知を可視化しようにも、前提となるデータがなかったことだ。取り組みを始めた約10年前、2010年以前に導入した古い設備の占有率が50%を超えており、そのままではデータを取得できる状態にない。

対応策は地道なものだった。データを取得できる新設備への入れ替えと、既存設備へのPLC(Programmable Logic Controller)の順次設置。その積み重ねによって、最終的に600以上の全ての生産設備のデータを見える化した。

これによって可視化できるようになった情報は、不良率の推移、設備別不良率、ロット別不良明細、サイズ別不良推移、項目別不良率など多岐にわたる。生産履歴の把握やロットトレースも可能になった。

高橋氏はその段階でこう語っている。「全てのデータが取得できるようになったことで、仮想空間上で設備を表現できるようになった。そこでモノの動きを完全に再現できるようになった」。設備側のデジタルツイン化は達成できた。

ただ、そこで次の壁が見えてくる。「一方で人の動きは暗黙知として無意識な動作がある中、それを形式知化できていなかった。人とデータをどう融合させ、オペレーションをどう変えていくのかがデータが見える化した後の大きなテーマとなった」(高橋氏)。

設備のデータが揃っても、人の判断をどう組み込むかという問いが次に来る。この言葉が、この事例の本質を突いていると思う。

ここからは見方だが——AI活用の成否は「何を入れるか」ではなく「何が揃っているか」で決まる

この事例を読んで感じるのは、「AI活用の成否を決める変数は、AI自体の性能より先にある」という事実だ。

多くの製造業のAI導入プロジェクトが期待通りの成果を出せない原因として、「データ不足」「品質の低いデータ」「ラベル付けの人手不足」が挙げられる。山口拠点はこの問題を、ツールで解決しようとせず、地道なインフラ整備で解いた。10年かけて、だ。

もうひとつ注目したいのは、設備のデジタル化を終えた段階で「次は人の暗黙知だ」という問いが浮かび上がった流れだ。これは多くの現場で再現性がある。モノのデータは取れるようになる。しかし人の判断のデータ化は、技術問題ではなく組織の問題になる。「誰がどういう判断をしているか」を言語化・構造化するためには、現場の協力と時間が必要で、AIツールを導入する前の段階で頓挫することが多い。

山口拠点が「暗黙知の構造化フレームワーク」の構築に踏み込んでいることは、技術的な難しさより組織的な難しさを乗り越えようとしている点で、他の工場との差別化になっている。

実務的な示唆——「今すぐAIを入れる」派へ渡したい判断軸

製造現場でAI活用を進めようとしている立場から見ると、この事例は「AI導入の検討を始める前に確認すべきチェックリスト」の具体例として読める。

まず問うべきは、「今の設備から、必要なデータが取れているか」だ。山口拠点の場合、50%の設備がデータ取得不可という状態からスタートした。POCを走らせる前に、データが取れる状態にあるかを確認する必要がある。

次に、「誰がどういう判断を行っているか、言語化できるか」という点。工程間の作業タイミングのような、ベテランが無意識にやっている判断は、観察・記述・構造化のステップを踏まないとAIに渡せる形にならない。

そして見落とされがちなのが「時間軸」だ。山口拠点は10年かけてこの土台を作った。それを「遅い」と批評するのは簡単だが、実際に動くAIを持っているのはどちらかを考えると、急いでPOCだけして頓挫したプロジェクトより実績がある。

次に論点になるのは、暗黙知をAIに渡す際の精度と責任の問題だ。形式知化されたオペレーション判断をAIエージェントが実行した結果、問題が起きたとき、誰がどう責任を持つか。設備の制御に近づくほど、この問いは重くなる。山口拠点が「複数のAIエージェントを組み合わせた作業支援」に踏み込んでいると伝えられている以上、この課題は次のフェーズで必ず顕在化する。

軽いまとめ

「AIを使いこなす工場」の話は増えてきたが、使いこなせる状態を作るまでに何をやったかを丁寧に追っている事例は、まだ少ない。山口拠点の10年は、データ整備・設備更新・暗黙知の構造化という三つの地味な作業の積み重ねだ。

同じことを今から始めるなら、10年かかるわけではないかもしれない。PLCの設置コストは下がり、IoTプラットフォームは整い、生成AIを活用した暗黙知の言語化ツールも出てきている。ただ「何をやるべきか」の順序は変わらない。山口拠点の事例は、その順序を実証している。


参考元: なぜ現場でAIを使いこなせるのか、パナソニック インダストリー山口拠点の10年:モノづくり最前線レポート / MONOist