「クレームこそ最大の商機」——ユポが半世紀かけて証明した、コト売りとAI暗黙知継承の本質
「コト売り」という言葉が好きなIT企業は多い。日立製作所もNECも、こぞって「共創」「伴走型」を掲げる。だがユポという会社は、そのどれよりも長く、1969年の設立以来50年以上にわたって、製造現場でそれを黙々と実践してきた。
今回のITmediaの記事で内藤勝弘社長が語った「クレームこそ最大の商機」という言葉は、単なるポジティブ思考の言い換えではない。この一言に、ユポの組織設計・ビジネスモデル・そしてAI活用の方向性が全部詰まっている。
「コト売り」を語る前に:ユポの半世紀という重さ
合成紙という素材は、扱いが難しい。ユポの内藤社長自身が「決して誰でも簡単に扱える万能な素材ではなかった」と認めている。特殊だからこそ、導入現場では必ず何かしらのトラブルが起きる。だからこそ営業・開発・技術が部門の垣根を越えて現場に飛び込む文化が自然と生まれた。
これは美談でも精神論でもない。「どうにかして使ってもらおう」と必死に知恵を絞るしかなかった、という現実からの組織適応だ。困り事に寄り添い続けた結果、また別の新しい用途やアイデアが生まれていく——内藤社長はそのサイクルを「だからクレームは最大の商機になる」と表現した。
この感覚は、SaaSや大手ITベンダーが語る「共創」とは文脈がかなり違う。あちらは「一緒にやりましょう」という提案型だが、ユポは「トラブルが起きたから一緒にいるしかなかった」という現場型だ。
用途は顧客が作る——顧客起点のソリューション拡張
ユポはもともと印刷用紙として生まれた素材だ。しかし今では、植物工場やLED電球の裏側の反射シートに使われている。白くて光を反射するという機能を、顧客が自分で発見し、加工して使い始めたのだ。
さらに印象的なのが、災害時に傷病者の状態を識別するトリアージタグへの採用だ。雨などの過酷な現場環境に対応できる耐久性が評価されたという。
そして内藤社長が語ったこのエピソードが象徴的だ。「顧客から『ユポはどう管理されているのか知りたい』と呼び出され、顧客企業を訪問して初めて自社製品が使われていることを知るケースもありました」。
つまり、用途開発の主導権は顧客側にある。ユポはそれを「後から知って、一緒に深掘りする」というスタンスで広げてきた。取引先の業界基準を学びながら裾野を広げるというのは、プロダクトアウトでもマーケットインでもなく、もっと受動的で有機的なプロセスだ。
製品グレードの数が「5〜6種類で事足りた時代から、今は覚えきれないほど増えた」という現場の言葉も、この歴史を如実に物語っている。顧客の困り事に合わせて新しいものを作り続けてきた結果だ。
「売るな、課題解決に飛び込め」——組織構造の設計思想
ユポの営業の仕事は、価格交渉や受注ではない。価格交渉や製品の届けは代理店(商社)が担う。ユポの営業の役割は「機能を紹介し、どう使えるかを顧客と一緒に考え、現場の中に入り込んでいくこと」だ。
この分業は構造的に興味深い。商流の管理を代理店に任せることで、ユポの人材が「用途を作る」ことに集中できる体制になっている。「ポケットをたくさん持っていて、これが駄目ならこちらを出す」という言葉は、営業スタイルではなくプロダクト戦略そのものだ。
そして、この2年間で組織体制を大きく変えた。宮口戦略企画本部長によると、従来は「一人の営業が全ての業務を抱え込むスタイル」だったが、顧客の相談が高度化・多様化する中で限界が来た。
改革の方向は二つある。営業の中に開発部隊やテクニカルサービスの機能を一部入れ、営業自身が高度なソリューションを提案できる形にする。逆に開発の側にも市場開発機能を持たせ、双方向で種を温める役割を持たせる。
さらに7月のリブランディングに合わせて「共創推進」という専門部署を新設。「価値を共に創る」という考え方に沿い、社外に向けて「何でもご相談ください」と打ち出した。これで営業、テクニカルサービス、開発、共創推進の4部門が一体で動く体制が整った形だ。
時間のかかる長期案件は共創推進がじっくり温め、営業は用途の裾野を広げることに注力する「役割の分業化」——これは言葉にするとシンプルだが、実現するには文化ごと変えなければならない。
AIおじさんの見方:暗黙知継承という本当の課題
ここからは少し踏み込んで考えたい。
ユポが今、AIで取り組もうとしているのは「トラブル対応ノウハウのDX化」だ。半世紀にわたって現場で積み上げてきたベテランの暗黙知を、AIを使って次世代に継承しようとしている。
これは多くの製造業・素材メーカーが直面している課題だが、ユポの場合は構造的な難しさが一段高い。通常のナレッジ移転なら「正解の手順を文書化する」で足りる。だがユポのビジネスモデルは「顧客の困り事に応じてその場で解決策を作る」という性質のものだ。正解が事前に存在しない。
ベテランが持っているのは、「このトラブルには過去のあの事例が使える」「このお客さんの使い方だとこの素材グレードが合う」という判断の引き出しだ。それは経験と失敗と試行錯誤の蓄積であり、マニュアルには落ちにくい。
内藤社長が語ったこの言葉が核心をついている。「私自身も若手の頃は、トラブルが起きたら解決するまでお客さまの元から帰ってきませんでした」。その体験が暗黙知の源泉だとすれば、それをAIに渡すには、まず「体験の言語化」という工程が必要になる。
記事では「AIによる暗黙知継承」の具体的な仕組みについての詳細は明かされていない。ただ、問いとして重要なのは「何をインプットとしてAIに渡すか」だ。過去のトラブルチケット、顧客とのやり取りのログ、社内で共有されてきた事例——それらが構造化されていなければ、AIはただの検索エンジンにしかならない。
「暗黙知をAIに継承する」という話が製造業各社から聞こえてくるようになって久しいが、実際に機能しているケースはまだ少ない。なぜか。暗黙知が「暗黙」である理由は、言語化されていないからではなく、言語化されるべき文脈ごとに形が変わるからだ。ユポのトラブル対応ナレッジは、まさにその典型だ。
実務的な示唆:ユポの構造から読み取れること
ユポの事例から実務的に読み取れることを、三点整理しておきたい。
クレームをデータとして扱う文化の作り方
「クレームを商機にする」という言葉は、精神論ではなく組織設計の話だ。トラブルが起きたとき、それを「恥ずかしい失敗」として隠蔽する文化と、「この現象から何が学べるか」として共有する文化では、数年後の組織の知識量がまったく違う。ユポの場合、半世紀かけてその文化が定着しているから、AIに渡せるナレッジが蓄積されている。逆に言えば、クレームを隠してきた組織は、AIに渡せるものがそもそも存在しない。
暗黙知のAI移転は「上流工程の設計」が先
以前の記事でも触れたが、「暗黙知を書き起こすという新しい上流工程」の重要性が、ここでも浮かび上がる。AIに何かを継承させようとするとき、モデルの選定やインフラの整備よりも先に、「何をどう構造化してインプットするか」の設計が問われる。この工程を誰がやるか、どう設計するか——それが次の競争軸になりつつある。
「一人の営業が全部抱える」モデルの崩壊は、AI導入の好機でもある
宮口本部長が指摘した「一人の営業が全ての業務を抱え込む限界」は、日本の多くのBtoB企業で同じ状況にある。この構造を変えるタイミングで、AIを「役割の分業化を支えるツール」として位置づけることができる。長期案件の進捗管理、顧客の困り事の類型化、過去事例の検索——これらは人の代替ではなく、分業を機能させるための補助として使える。
まとめ:次のニュースを読む軸
「AIで暗黙知を継承する」という文脈のニュースを今後目にしたとき、確認すべき問いはシンプルだ。
「その組織は、暗黙知を渡せるだけの文化と記録を持っているか」。
AIのモデル性能や導入予算より先に、この問いに答えられる組織かどうかが、成否を分ける。ユポが50年かけて蓄積してきたトラブル対応の歴史は、それ自体がナレッジベースの原石だ。そこへAIを当てるのは、理にかなっている。
一方で、「クレームを商機にする」文化がなく、ナレッジが個人の頭の中にしか存在しない組織が「AIで暗黙知継承」と言い始めても、インフラ投資より先にやるべきことがある。その順番を間違えないことが、この種のDXで成果を出す条件だと思う。
参考元: 「クレームこそ最大の商機」 合成紙大手ユポが半世紀貫く"コト売り"と、AIによる暗黙知継承 ― ITmedia ビジネスオンライン